こめつぶ日記

こめつぶ踏んだみたいなことを書く日記

貸出上限三冊

図書館によく行く。

私の住む市の図書館の貸し出し上限は十五冊だ。

いつもオットの貸し出しカードも使って三十冊借りる。少しでも興味があるものは手当たり次第かごに入れていく。そんなに読み切れるのかと思われるだろうが、もちろん読みきれないことがほとんど。これ書店だったらこうはいかない。読まないであろう本を買うような場所のゆとりもお金のゆとりもない。でもここは図書館、タダだ。
子どもの頃から図書館は読みたい本を借りる場所で、読み切れるかどうかは考えなくていいと思っていた。

そんな私が驚いたことがあった。それは貸し出しカウンターの前で親が子に「三冊までって言ったでしょ」「そんなに読みきれないでしょ」と苛立ちながら諭している光景。数年前からよく見かけるようになった。

え!なんで!?タダだよ?読まなくてもいいんだよ?絵だけ見て終わりでもいいんだよ!?

初めて見たとき、その子の代わりに私が叫びそうになってしまった。
でももしかしたらやたら読み聞かせをせがむ子で、お母さん(大抵お母さん)は忙しくてそんな時間は無いから少ない冊数にしているのかも、とか色々考えてみたがよくわからず、子どもと一緒に渋い顔になった。

後日それを4歳の子どもがいる女性に話したところ、そのお母さんの気持ちは分かると言われた。なぜなら、始めたことは最後までやり遂げてほしくてそれができるのは三冊くらいだと思うから、とのことだった。
驚きでひっくり返りそうになった。
本好きか本好きでないかでこんなに本に求めるものが違うのかと。(彼女は本好きではない)
私の完全な偏見だけど、本好きにとっての読書は単なる娯楽だ。達成できるかどうかなんて考えるのは、よほど高額な本を買ってしまったときか難解ロシア文学にチャレンジするときくらいだろう。(ロシア文学ってまず登場人物の名前が覚わらん。)
読み始めたはいいが面白くなくて「こういうの好きちゃうわ。おしまい。」なんてことはよくある。逆に何冊も並行して読むことも。
まぁでも読書というのはやたら評価されたり全くされなかったりするから、いろんな価値観があるんだろう。

つい先日もそういう光景を目撃した。
馬鹿みたいに本を抱えた私はいたたまれなくなってコソコソとその場を離れたくなったが、「子よ許せ、お前も一人で来られるようになったら十五冊借りられるからな。それまで本好きでいろよ。」と心の中で励ましのエールを送りながら鞄に本を詰め込んだ。

結婚と離婚(と反省)

やっぱり早速間が空いてしまった。

こういうものは忙しいからとかくたびれているからなどを言い訳にすると、一つも進まないなと反省。毎日のどこかに組み込むことがコツなんだろう。

サクッと反省したところで、今日の日記。

 

私は今結婚しているんだけど、離婚するのかもしれないなと考えることがよくある。別に不仲じゃないし、むしろ仲がいい方だと思う。でも離婚の可能性というのは、結婚している人にのみにある。だから想像する。子どもを持つのも同じ。子どもを持った瞬間にシングルマザー・シングルファザーになる可能性が発生する。

こういう、ただただそこに存在する事実をみんなはどう受け止めているんだろう。

残念ながらピンと来てくれる人はほとんどいない。そんなこと考えたことないと言われ、仲悪いの?とか離婚考えてるの?と驚かれたりする。悲観的だとも言われる。              いやいや私はただ単に現実にそこにある可能性の話をしているだけなんだけどな、と思う。思うがそれを伝えてももう仕方がないので、そうなのかもね〜とかなんとか適当に返しておく。

世の中ではこういうことを考えたり話したりすることが「楽しいこと」に分類されないよう。でも私はこういう考え事が大好きだから、ついうっかり調査しようとしてしまう(反省)。

 

最近はこの「離婚の可能性を考える癖」があるゆえにオットとの関係がうまくいっているのではと思っている。いつか離婚するかもしれないんだから仲の良い今を大切にしよう、と思ってしまうのだ。我ながら刹那的すぎるだろと呆れる。

先日オットに「結婚してしまったからいつか離婚するかもしれんな」と言うと、「できたらそうはなりたくないけど、まぁ無いとは言えんな」と答えた。

私たちは今のところまだ気が合っているようだ。

ここが一致しているうちは離婚しないのかもしれない。

かもしれない。

 

 

 

 

今日のこと

本日12月1日、キリがいいからここで何かどうでもいいようなことを書いていこうと決めた。

ずっと書きたいなぁと思ってはいたんだけど、でも私はきっと途中で放置するに決まっているから始めたくない、というダメ完璧主義っぷりを見せ続けていた。

でも今朝ふと、まぁ放置してもいいかと思ったので始めてみる。

 

インスタでもnoteでもなく「ブログ」で書きたいと思ったきっかけは、哲学研究者の永井玲衣さんだった。

彼女の著書『水中の哲学者たち』を読み、へぇすごく面白いと思い名前を検索するとブログがあった。そこにはその日に起きたこととその瞬間に思ったことが書かれていて、まるで彼女の頭の中をのぞいているようだった。すごく好きなタイプの文章で何度も読み直した(もうずっと前に更新は止まっていたし今は閉鎖されている。悲しい)。

その中で永井さんが面白いと評していたのが『ハルに風邪ひいた』というブログだった(これは今もある)。このブログを書いていたのは当時東大の院生だったJAXA研究員の久保勇貴さんという男性だった。なんと彼も永井さんのブログをきっかけにブログを始めたという。こちらもやはり彼の頭の中のことが書かれていてとても面白い。

その後豊島ミホさんがポッドキャストで、小説家を辞め専業主婦になった今もブログを書いている、表現したい欲はずっとある、ということをおっしゃっているのを聞いた。

へぇーみんなブログやってんのかーと思った。みんなって三人だけど。

そういえば私もSNSが無かった頃はいろんな人のブログを読んでいた。その頃読んでいたブログを必死で思い出し検索してみると、驚くことにその多くがまだ更新されていた。感動した。時が戻ったみたいな感覚になった。

久しぶりのその空間は、散々SNSを使い倒した私にはすごく静かで平和に見えた。誰かが自ら覗きにきてくれなかったら読まれることのない文章を書き続けるって、なんかすごくいいなと思った。

もう自分のためだけに紙に書き連ねるみたいなことはできない、かといって多くの人に聞いて欲しいような大そうな話やそれを伝える文章力もない、そういう私にピッタリだと思った。私もこういう場所で書きたいと思った。

逃げの姿勢満載だけどこれがきっかけだった。                  しかも最初に書いたみたいに、放置してもいいやと思っているので放置する可能性は大。                                      もうすでに次の更新が不安。